前回の検診で、稽留流産の可能性が高いと診断を受けました。
妊娠10週目に最終確認のため、診てもらったところ心拍が確認できず、稽留流産の宣告を受けました。
今回は、流産の疑い〜稽留流産の宣告を受けるまでの間に感じたことや思ったことについて書いていきたいと思います。
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私が流産するなんて考えられない!
妊娠9週目となる3回目の検診の時、稽留流産の可能性が高いと診断を受けた。
普通なら落ち込んだり悲しんだり、何も手につかないぐらい絶望的になるんだろう。
けど、私にはそんな暇はなかった。
内診が終わると、看護師に預けていた息子をすぐさま迎えにいき、大泣きの大暴れする息子をなだめる。
「ごめんね〜、ママ帰ってきたよ」
「もう大丈夫だよ。泣かなくていいよ」
ママがいない間、暴れまくっていた息子もケロっと泣き止み笑顔に戻った。
待合室でお会計を待っている間、頭の中で今起きた現状をもう一度振り返る。
なんで…
なんで私が…
もう無理なのかな…
えー…最悪じゃん
なんなの…本当に…
今回の妊娠が最後になるかもしれないのに…
だからてっきり神様が、一度に2人産めるように双子ちゃんを授けてくれたんだと思って
心の底から嬉しくて大喜びしたのに…
一卵性なんて奇跡でしかないから、これは神様からの贈り物に違いないって
感謝してたのに
なんなの…マジで
こんな仕打ちってある?
喜ばせておいてどん底に突き落とす
酷すぎるよ…
だったら最初から期待させるなよ!
こんなこと現実だなんて思いたくない!
悲しみよりも怒りの方がこみ上げてきた
大人にはない子供の不思議な能力
未来の妹か弟になる子が、流産するかもしれないというのに、息子は何事もなく無邪気に遊んでて幸せそうでいいな〜
もしかしたら流産になるかもしれないのに…
息子は気楽でいいよね、
落ち込むことも悲しむこともないしさ。
そりゃそうなんだけどね。
理解できる歳ではないからさ
当たり前の事なんだけど、
私からすると羨ましい…
内診の時に、撮ったエコー動画を何度も繰り返しみて、もしかしたら大丈夫かも!
と期待しつつ念入りにチェックする。
すると、息子が覗き込んきて
「ベビーだぁ!」
「ベビだねぇ〜」
え?!
これみてベビーってわかるの?
すごない!!?
教えたつもりもないのに、なぜかこれが赤ちゃんであることを、息子はすでに気づいていた。
もしかしたら、息子はお腹の子がどうなってるのか知ってるかもしれないと思い、半信半疑で息子に尋ねてみた。
私「ママのお腹にベビーいる?」
息子「いない」
私「ねぇねぇ、ここベビいる?」
息子「いない!」
何度聞いても、「いる」とは言わない。
まぁ子供の言う事だし、本気にはしてないけど、でも子供ってそうゆう不思議な能力があるってよく聞くじゃん。
ちょっとまじかと思ったりもする…
妊娠すると、上の子が股の下をくぐるとか赤ちゃん返りするとか、身近にもそうゆう事例があるから鵜呑みにはできない。
もしかするとママよりも息子のほうがよっぽど理解できてるのかもしれない。
神様なんて信じなきゃよかった
素人の私から見ても、赤ちゃんが育っていないことは一目瞭然だった。
袋の中は空っぽで、赤ちゃんがどこにいるのかもわからない。
当然心拍なんて確認できるわけもない。
先生は私を気遣ってはっきりと「流産です」とは言わなかったけど、
もうすでに流産はほぼ確定してるようなもんだ。
1週間の猶予は与えてくれたけど、これは覚悟を決めるための心の準備期間だと感じた。
診察を終えたその日は、
神様を恨んだ。
流産なんて経験いらないよ!
そんな経験したくもない!
腎臓の病気だってそう…
もうすでに十分辛い思いは経験してる!
それでもまだ試練を与えるのか!
はじめから神様なんて信じるんじゃなかった。もともと神様なんて信じるような性格ではないけど、この時ばかりは一卵性双生児という奇跡が起こったので、てっきり神様のおかげだと、
そう感じてしまった私がバカだった…
息子に救われ支えられる母
検診で、稽留流産の可能性が高いと言われたその日、なんとなく息子の様子が違った。
赤ちゃんが成長しておらず、もしかすると手術になってしまうかもしれないと落ち込んでいた私に息子は優しく接してくれた。
息子「ママ、チュー♡」
「ハグ〜」
「ヨシヨシ」
「ハイタッチ」
ほっぺにキスしてくれたり、頭を撫でてくれたり、ぎゅっと抱きしめてくれたりと、いつも以上に優しく接してくれる息子。
それが一度ではなく、繰り返し何度もしてくれた。
私はいつも通りに接しているつもりではいたけど、息子は何かを感じ取ってたのかもしれない。
ママの様子がいつもと違うのをみて、息子なりにママを気遣ってくれたのかな。
まだ2歳7ヶ月なのに、
もうそんな気遣いができるなんて
優しい子に育ってくれて
ママは嬉しいです。泣
子供って親が思っている以上に大人なのかもしれない。
もし、息子がいなかったら、
私はどうなってたことだろう。
この現実をどう受け止め、
どう乗り越えてたのだろうか。
もしかしたら立ち直れないぐらい落ち込んでいたかもしれない。
私は、息子の愛に支えられ、
本当救われました。